自己理解という程大袈裟なものではなくて
子供の頃は親父から言われ、今の会社に入ってからは上司に言われ、言われ続けた自己理解について
今年28歳にして適応障害の診断を受け、やっと自分のことが分かり始めた私です。
自分がそこそこ社会不適合者だと気付きました。レベルをつけるなら7!!
完全にではないけど、まずまずといったところかなと思います。
事の顛末から話すと
仕事への不安が頭から離れない
土日も仕事に怯えて心ココにあらず
夜が眠れなくなってきた
→見兼ねた嫁から病院に連れて行かれる
→適応障害の診断を受ける
社会に出て5年薄々気付いてたけど、気付かないフリをしてやり過ごしてきたが
俺圧倒的に営業に向いてねぇ
ニコニコはできるから
表面的な付き合いの人には向いていると言われるけど
実のところ、
・好きな人、良くしてくれる人以外に興味が無い、どうでもいい
・人と話すこと得意じゃ無い、世間話とかクソつまらんからどうでもいい
・故に相手の感情も読めない
・楽しいこと面白いことだけやりたい
しかし、仕事で変な真面目スイッチと言いますか怒られたくない精神と言いますか、ミスしたく無いと思って色々考えてるうちに泥沼にハマっていく感じ
文字にしても伝わんねーだろうな
根本にあるのは臆病さ
それを克服したくて、強がったり、できる風を装ったり、そうしてるうちに本当に強くなったりできるようになったりするんじゃ無いかと思ってたけど無理ね
逃げなんじゃねーかな、ここを耐えれば1つ成長できるんじゃねーかなとか思ってやってたけど
人間の本質て中々変わるもんじゃ無いし
やっぱり向き不向きがある
と思うようにした
こんなこと言うと今の部門から他に回されるかもと覚悟しながら、上司に俺は営業向いてないと面談で泣きながら話した笑
大の大人が職場で泣くんだぜ、やべーだろ!
部門の人にも今の状況と思ってること考えてること、できないこと苦手なこと
正直に話した。
周りの人には恵まれてると思う
異変を察知してくれた嫁
悩んでるのに気付いてくれた同僚
役割変えればいいじゃん向いてることをさがそーぜ、と言ってくれた上司
感謝をしなきゃいけないなと思います。
喉元過ぎればなんとやら
そのうち忘れてしまうクズな俺
今まではこうだったけど
今回を機に、ここは変えていこうと思います。
この自己理解については自分の為にも、今後都度書こうかな
本は読むけれど
昔から本を読むことが好き。
本を好きになった思い当たるきっかけとしては、母親が熱心に絵本を読んでくれたこと。
3歳くらいの頃は家の近くの図書館によく連れて行って貰い、本を借りていた記憶がある。
小学生の時の夢は図書館司書だった
中学になりスポーツを本格的に始め徐々に読まなくなり、高校の時は全く読んでいなかった。
大学に入り持て余す時間に、また少し本を読み始めた。
小学生の時の夢を叶えはしないまでも、図書館司書の資格も取った。
図書館司書を取るための講義には、圧倒的に男子が少ない。最初こそ数人は居たが4年目に入る頃には俺1人になっていた。
数少ない男を教授は気にかけてくれて、
「やる気があるならアメリカに行きなさい、その方が収入も立場も安定する」
日本で男性が図書館司書で生計を立てるとなると、なかなか難しい。それは知っていた。
故に掛けてくれた言葉だった。
あの時、その方向に舵を切っていれば
また違った人生になってたかもと思う時がたまーにある。
28歳になり、最近また本を読み始めた。
前とは違い小説ではなく、ビジネス書・新書等々
でも、読むことが目的になっていて、内容を人生や生き方に反映させていないような気がしている。
言い換えれば、読み終えた事に満足しているだけのような、、、
意識だけは高く、レベルの高い本を選んで、理解したような顔をしているだけ
意味あんのかコレ?
真面目系クズ、意識高い系ゴミ
俺にピッタリな言葉!
そんな気付きを今夜しました。